何かが足りないのは良い事だ

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皆さんは京都にある龍安寺 の石庭をご存知でしょうか?多くの人は修学旅行か何かで一度は訪れているのではないかと思います。この石庭には15個の石があり、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されていると言われています。(実は見える場所がある、ということが実はwiki で書いてあったりしますが…それは今日は置いておきましょう。)

これからは“ない”という概念が重要になる

東洋では十五夜(満月)にあたる15という数字を「完全」を表すものとしてとらえる思想があり、15に一つ足りない14は「不完全さ」を表すとされています。(出典:wikipedia)

とあるように、この石庭自体が“枯山水 ”で、本当の“水”を流せば良いところに流していない(=不完全な)状態を作っています。このように日本では物事を「完全」にせず、「不完全」にしておく文化が昔からあったようです。昔からそういった文化がありながらも、これからはそういった「不完全さ」というものが、特にこの日本において益々求められる時代になってくるのではないかと思っています。

どういうことかと言うと、ある意味今の日本人は物質的にはほぼ“完全”に満たされている状態なのではないかと思います。そんな状態だからこそ、あることに慣れすぎているわけです。ないと分かって始めて、“考える”という行為をしたり、“工夫”をしてみようと思ってみるもの。先に出てきた“枯山水”も、“水”がないからこそ、一人ひとりがそれぞれの“水”を思い浮かべられる、そんな感じですね。

RyoanJi-Dry_garden

この考え方は、先日のブログ話をした“これからの時代でキャリアを築く方法” にも通じます。人間というものが「不完全」であるからこそ、自分自身の軸に従って選択と集中を行っていく。もし人間が「完全」な存在だったら、そんなことをする必要はないでしょう。冒頭の石庭のように、15個の石から1個だけ引く、そんな引き算がこれから求められるようになる。そう思う今日この頃です。

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キヨカワ

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