自主性を発揮させる環境の作り方
「自主性というものが日本のスポーツには欠けているのかなとつくづく思いました」と切り出し た五郎丸。「監督が言うのを待ってる自分達がいて、自分達がどうしてほしいっていうのを伝えることができなかった。小さい時から監督やコーチが全てで、そ こに意見を言うことはイコール文句を言ってるっていう捉え方をするので、そういった環境はよくないって海外でプレーするとつくづく思います」
これは、ラグビー日本代表の五郎丸選手のTVでの一幕、だそうです。自主性というものが欠けている、指示を待っている、というのは海外に行くと多くの日本人が痛感することなのではないかと思います。同じような話で、厚切りジェイソンさんがtwitterで、
幼稚園→周りと合わせろ
小学校→周りと合わせろ
中学校→周りと合わせろ
高校→周りと合わせろ
大学→周りと合わせろ
会社→周りと合わせろ
パターンパターン!見えてきたよ!
というツイートをしていました。要するに、勝手な行動を取るなよとも同義なわけです。こういった教育を受けてきた日本人が、どうして自主性を持てようか!(いや、持てまい・笑)
自主性とは、拠り所があってはじめて発揮して良いもの
また、自主性というと、自分で(勝手に)判断して行動するというようにも捉えられがちですが、こと企業においては少々勝手が違います。さすがに企業ブランドを損ねるような行動はできないので、“クレド”という企業理念のようなものが制定され、それに則った行動であれば許される状況を作っているわけです。そういった“拠り所”があって、あとは自主的に考えろ、というのがポイントでしょうね。多くの日本企業は、企業理念は形骸化し、「空気を読め」で済ませているところが多く、その「空気」というのも人(上司)によって違ったり、企業固有のものではないことが多く散見されます。そういった状況下に外国人が入るとどうなるか…想像に難くないですね。
冒頭の五郎丸選手の話にもありますが、きちんと言語化していくという作業は本当に大事な作業となります。五郎丸選手の場合はあくまで“個人”のため、のようなニュアンスですが、会社の場合はチーム全体のため、ですね。これからダイバーシティだとか、グローバル化だとか、そういったものに対応していく必要が多くの企業には求められるのだと思います。そのような時代に対応していく上で、海外の事例を参照していくことは本当に大事だと感じます
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