選ぶ力ってなんだ?
「選ぶ力がない。」このようなことを学生に対してだけでなく、社会人であっても感じることが多々あります。よく考えてみると、「選ぶ」という行為に「力」が必要なのか?とそもそも論になりそうですが、改めて考えた結果、「選ぶ」には「力」が必要という結論に至りました。今日はそんな話。
選ぶ力がない≠優柔不断
“選ぶ”という行為は誰しも常に行っている行為だと思います。“朝起きる”というのも“朝起きない”というもう一つの選択肢から“選ぶ行為”ですし、どういった順番で身支度をするのかということもきちんと“選んで”行っていることでしょう。「人生は選択の連続」とはよく言ったもので、私たちは常日頃から小さな選択をその瞬間瞬間している生き物であることは間違いありません。
そんな中で“選ぶ力がない”というのはどういうことなのか。恐らく、「あなたには選ぶ力がないね」と言われれば、多くの人は怒るのではないでしょうか。もちろん、中には「優柔不断ってよく言われるんです」と心当たりのある方もいるかもしれませんが、ある意味、「あなたは優柔不断ですね」と言われることと同義なことでしょうから、憤りを感じても当然のことのように思えます。ただ、一般的に言う“優柔不断”という言葉の意味の対義語として“選ぶ力”という話をしているわけではありません。
選ぶ“目的”をほとんど考えたことがない日本人
引っ張りすぎている感が出てきたので(笑)結論から言いましょう。私の定義する“選ぶ力”というのは、“自ら目的を設定し、その目的を叶えるための自立・自律的な選択ができる力”だと思っています。一つずつ解説していきます。
まずはじめの“自ら目的を設定”という部分ですが、自分で目的を設定するという経験をする機会が日本の教育においては圧倒的に少ないと感じます。いつぞやの厚切りジェイソン氏ではないですが、日本の教育の基本コンセプトは「周りに合わせろ」です。そのような“与えられた”目的の下で全ての教育が進んでいきます。代表的なものは受験。なぜ受験するのか?ということに対して一切疑問を持たない他、自分の偏差値で学校を決めている。それが“当たり前”になっている世界なのですから、“自ら目的を設定する力”というものが育たないのもうなずけます。
自立的な選択と自律的な選択
“目的を叶えるための自立・自律的な選択ができる力”という点は、大きく2つの大事なポイントがあります。1つは“自立”というキーワード。要するに、自分自身の“自立した”選択ができるかどうかという点です。自分自身で“自立した”選択ができていない代表例は、選択に“親”が関わってくることでしょうか。昨今では就活にも“親”が出てくるようですが、“自立”して選択ができない何よりの証拠ですね。また、親だけでなく、“周りがそうしているから”という選択も“自立した選択”とは言えません。そう考えると、どこまで本当に自分自身が“自立して”選択しているかというと、かなりの部分、そうではない可能性が出てくるのではないでしょうか。
また、もう1つの大事なポイントとしては、“自律”というキーワードです。自らを律するという意味合いですが、何から自らを律するかと言うと、それは“無意識”です。先にお話した通り、人間というものは選択の連続をしていて、そのほとんどを“無意識”が行っています。その“無意識”というものがどんな性格をしているのかをきちんと把握し、それをコントロールできないと目的を叶えることが難しくなります。例えば、多くの人は基本怠惰ではないかと思っているのですが、気が付けば楽な方に流れるわけです。掲げている目的が難しければ難しいほど、そういった怠惰な自分を理解し、それをコントロールする力がなければ、いつまでも目的は達成できないわけです。このように、自分が無意識にどういった行動を取りがちなのかということをきちんと認識し、それを自ら律する必要があるということです。
答えのない時代だからこそ求められる“選ぶ力”
繰り返しになりますが、“選ぶ力”とは“自ら目的を設定し、その目的を叶えるための自立・自律的な選択ができる力”だと思っています。今回3つに分けてお話をしましたが、3つが3つとも大事な要素であり、何か一つ欠けても成り立たない相互関係にあるものです。特に“自律”というものは自分自身をよく知る必要がある分野。自分自身の変なプライドもこの分野に入ってくる内容なのですが、自分自身のことと高をくくって意外と軽視されがちな分野です。目標達成において障害となるのは自分自身という話をしたばかりですが、自分自身が目標達成の障害になっている可能性を真正面から向き合う必要はあるはずです。
「良い学校に行って、良い企業に入る」という答えがあった時代には求められなかった力が、これからの時代を生き抜くためには絶対に必要な力になってしまっているように強く感じます。
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