仕事で自立した(一人前になった)と認められるには

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皆さんの「自立」の定義ですが、自分で何でも出来るようになる力だと思っていませんか?確かに、自分で何でも出来るようになれば、企業に依存しなくて済むようになれるでしょう。しかし、自分で何でも出来るようになることが最も適切な「自立」の定義か、というと疑問が残ります。もう少し身近な例を挙げて考えてみましょう。
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自立と言っても、何でもかんでも自分でやれているわけではない

「自立」という言葉を最もよく使うのは、一人暮らしをする時ですよね?一人で食事から洗濯、掃除も全部やって、生活を自分一人でやり繰りする…そういった状態を「自立している」と言うのではないでしょうか?そう考えると、上記の定義が合っているようにも感じます。が、よく考えると、何でもかんでも自分でやれているわけではないことに気付けるでしょうか?例えば、食事の食料は自分で全て育てています?洗濯も洗濯機を使っているでしょうし、掃除だって掃除機を使いますよね?自分が全てをやっていないと「自立」と呼べないか、と言えば、そうではないのではないでしょうか?

それでは仕事に置き換えましょう。仕事において「自立したい」と思う方はなぜか、上記で言う、何でもかんでも自分で出来るようにならなくてはならないと思うようです。また、それが「自立」なんだということを疑いません。確かに、何でもかんでも出来るようになることが理想ではありますが、それにどれだけの価値があるのかは極めて微妙なところです。何が言いたいかと言うと、仕事においての「自立」とは、必ずしも自分で全部が出来るようになることではないということを知ってもらいたいのがまず第一。そして、人を動かすことを認識することが第二に来ます。

人に頼ることを知らずして仕事の自立はありえない

…ん?「人を動かすっていうのは、人に頼っているということで『依存』なんじゃないですか?」と聞こえてきそうですね。恐らくこの部分が「自立」の定義の違うところでしょう。キヨカワの定義ではこれが「自立」だと思っています。ちょっと分かりづらい話になるかもしれませんが、また一般的に使われる「自立」を例にとって考えてみましょう。一般的な「自立」の際には、お金という対価を払って人に動いてもらっているということが分かるでしょうか?

では、仕事における「自立」の際はどうかというと、もちろん、お金という対価を払う部分はあるものの、コミュニケーションというものを使って上司を動かしたり、場合によっては違う会社の人に動いてもらったりすることで、自分だけでは出来ないことを達成することが出来ます。これが出来て初めて、仕事において「自立」したと言えるのではないでしょうか?

人間というのは一人では何も出来ませんし、一人では決して生きていけません。そんな中で「自立」の定義を「自分一人で~」にしてしまうと、結局、自分の首を絞めてしまうことになりかねませんよ。

P.S.
今回の件を最も体現しているのが、鉄鋼王カーネギーです。彼自身が出来たことは、何かしたいと思った時に、それを誰に聞けば良いかを知っていたということだけです。「だけ」と表現しましたが、それが出来れば成功出来ると言っても過言ではないのでしょう。

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キヨカワ

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