企業経営はボトムアップ(民主主義)でやるべきか

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「民主主義が絶対に良いのか?」この質問に対して、あなたならどう答えますか?多くの人が『YES』と答えそうではあるものの、“絶対”というところに引っかかった人も中にはいるかもしれません。企業の中にいると、上記の定義に近しいものが、ボトムアップという考え方です。対義語は“トップダウン”で、トップが全てを決めるのではなく、メンバー(ボトム)から上がってきたものを戦略等々に採用していうという、そんなことを指しています。

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民主主義は疑いなく良いことのように思えるが…

さて、この“ボトムアップ”、一見良さそうに見えますが、これは“絶対に”良いことなのでしょうか?そんなことを今日は考えていきたいと思います。さて、皆さんは、アメリカの政治経済学者のフランシス・フクヤマという方をご存知でしょうか?The End of History and the Last Manという『歴史の終わり』と訳されている著書の著者で、内容をWikipediaで調べると、

国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し、それ以上の社会制度の発展が終結し、社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという、将来における仮説である。民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するような戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。それ故に、この時代を「歴史の終わり」とよぶ。

ということだそうです。要するに、民主主義が最終形態だということで、それが“最終的には”正しいとしている著書だということです。『ふーん、じゃあ、やっぱり“絶対”なんだ』と思うのはまだ早いので、もう少し突っ込んでいきましょう。

アラブの春で全ての国で民主化が上手く機能したわけではない

民主化と聞いて、今、色んな国々の地域が民主化運動を起こしていますね。分かりやすいのが『アラブの春』。言葉は皆さん聴いたことがあると思いますが、数年前、アラブの国々で大規模な民主化運動が起こりました。あれ、皆さんは結末がどうなったか、ご存知でしょうか?詳しくは是非Wikipediaをご覧いただければと思うのですが、いくつかの国は民主化に成功しています。

ただし、民主化には成功しましたが、成功しただけで、以前よりも不安定な国家となってしまった国もあります。はて、民主化は“絶対”だったのでは?一体ここで何が起こったのか。冒頭の『歴史の終わり』のWikipediaに、こんな一節がありました:

フクヤマの歴史終結論は歴史哲学であり、現状論ではない。歴史段階が成熟していないところに、不用意に民主主義を持ち込んでも混乱するだけである。

つまり、“最終的”には、民主主義が大事だけれども、歴史段階が成熟する前の民主主義は、混乱を招くだけとしているわけです。さて、本題に戻りましょう。企業における“ボトムアップ”の話、結論は見えてきたでしょうか。

企業の成熟段階を見てボトムアップの体制へ

企業において、“ボトムアップ”の体制を採るということは、今回で言う“民主化”とほぼ同義語だと思って良いと思います。企業にも歴史、というか成熟段階がありますので、それがしっかりしていない段階で、“ボトムアップ”という体制を採っても、混乱を招くだけということが共通して言えることだということです。

とはいえ、最終的には“ボトムアップ”ということが出来るようにしなくてはならない。そのタイミングがいつなのか、また、全てをいっぺんに“ボトムアップ”に移行するのではなく、段階的にやっていく必要性、というものがあると思う。Wikiを色々と見ていると、どれも時間はかかると言っている。その“かかる時間”というものをしっかりと覚悟した上で、企業を最終形態にしていくために、“ボトムアップ”という決断をしていかなくてはならないというのが、今回の結論です。

P.S.
今の日本も正直民主主義が崩壊していますよね。残念ながら、しっかりと物事が判断できる国民ではないように思う。“一義的”にしか物事を伝えないマスコミを筆頭に、常に“一つの正解”を求めてきた教育にも問題があると思う。一つの事象は、色んな解釈が出来るということを忘れてはならないですね。

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キヨカワ

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