将来に不安があるのに行動できない理由

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○鈴木敏文の「話し下手でも成功できる」著:勝見明

提言47:人は「してもらった満足」より「されなかった不満足」を大きく感じる

「例えば、挨拶一つでもそうです。私もこんな経験がありました。新入社員で会社に入ったばかりのころ、自分より上の人にばったり会って挨拶したとき、相手もヤアとかいって会釈してくれると、すごくホッとしてうれしくなったものです。ところが、たまたまその人が何か考えごとをしていて、無意識のうちに知らん顔をされると、相手はまったくそのつもりはなくても、無視されたように感じて傷ついたり、ずっと気になったりしました。挨拶も“される喜び”より、“されなかった痛み”のほうがずっと大きく感じる。これはコンビニの店舗でも全く同じです。挨拶だけではありません。店の品揃え、商品の品質、接客サービスの質…すべてについて同じことがいえます。

(本書p168)

日本人は良くも悪くもみんなと一緒が良い民族

先日、友人らと4人でランチをしていた時に、「将来について不安っていう人が多いけど、具体的に何が不安なんだろうね?」という話になりました。「具体的になんだろう?」と改めて考えたのですが、そこで出てきた結論が正にこれでした:“今あるものを失う怖さ”です。

もちろん、今よりももっと良い生活をしたい!とは誰しも思うと思うのですが、それよりも今以上に何かを失うことに対して過度に恐怖感を抱いている、そんな結論に至りました。でも、それを更によくよく考えてみると、それって死ぬ程のことじゃない。どんなに下がったとしても、まぁ、この日本で餓死することは考えられないし、ランチに1,000円かけられていたものが300円になったって、きっと笑って話をしているはずだろう…なんて話をしていましたが、こと日本人に関してはそれ程単純ではないかもしれません。なぜ、日本人に限定するかというと、日本人はみんなと一緒が良い民族だからです。

某テレビ番組で日本人の特徴をこんな風に喩えていました:

ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに海へ飛び込ませるために、

イギリス人には 「紳士はこういうときに飛び込むものです」
ドイツ人には 「規則では海に飛び込むことになっています」
イタリア人には 「さっき美女が飛び込みました」
アメリカ人には 「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
ロシア人には 「ウオッカのビンが流されてしまいました、今追えば間に合います」
フランス人には 「海に飛び込まないで下さい」
北朝鮮人には「将軍様が飛び込めと仰っています」
ポリネシア人…は、黙ってても飛び込む。「ヒャッホーーッ!」

日本人には 「みんなもう飛び込みましたよ」

自分“だけ”が何かを“失う”、ということはある意味ダブルパンチで精神的にくるのかもしれません。(ゆえに日本では自殺者が多いのかもしれません…)キヨカワも日本人なので、残念ながらその傾向がないとは言い切れないところがあります。が、そんなことでは“まぁ死ななくちゃならないことにはならないから”ということと、“なに自意識過剰になってんだよ、そんなに他の人は自分を見てねーよ”となんとか思うためにこの記事を残しておこうかな、なんて思う今日この頃です。

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キヨカワ

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