グローバル人材の定義…?

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ネスレ日本の代表でいらっしゃる高岡氏がグローバル人材について語っている記事がNewsPicksに上がっていました。本サイトにおいても“グローバル人材になるには”というようなカテゴリーを設けているのですが、ちょっと考え直した方が良いかも知れないと思わされました。同氏によれば「グローバル人材という言葉はネスレ社内では聞いたことすらない。」というコメントを残されていたためです。

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グローバル人材の定義はしているが・・・

同記事内で同氏はグローバル人材を“一応”、「当たり前のことを当たり前と思わずに考えられる人」と定義しています。これこそ海外に出れば多くの人がその現実に直面する最大の事柄なのではないでしょうか。そのような自分の“当たり前”が通じない際にどれだけそうでない事実に向き合えるか、考えられるかどうかがグローバル人材になっていく上での第一歩であることは疑いもないような事実だと思います。ところが、そのような重要と一見思われるようなことをネスレ社内では聞いたことすらないという事実があるわけです。

これがどういうことかと言えば、「当たり前のことを当たり前と思わずに考えられる人」であるということがネスレ社内では既に“当たり前である”ということを示していることに他なりません。自分の“当たり前”は他人にとって“当たり前ではないかもしれない”ということは、頭の中では理解できることかもしれませんが、いざそのような事実に直面した際に多くの日本人が適応できないでしょう。なぜなら、多くの日本人は日本人としか関わっておらず、日本人の“当たり前”しか知らないからです。

世界で戦うためにはそれが当たり前の環境に身を置くこと

記事内で著者は、「海外赴任を断り続けてきた」という話をしています。そんな中でも同氏が社内で認められていったのは「当たり前のことを当たり前と思わずに考えられる人」としての成長を遂げられたからでしょう。そしてそのような成長を遂げられたのは何より、“当たり前が当たり前ではないのではないか?”ということを常に突きつけられてきた環境があったからだと推察されます。何が言いたいかと言えば、グローバル人材(当たり前のことを当たり前と思わずに考えられる人)になるには、やはりそのようなことを常に問われる環境にいなくてはそうなれないということです。

“英語を学ぶ=グローバル人材になる”ということが安直ということを以前の記事でも申し上げておりますが、ここまでの話に“英語”という言葉も一切出てきていません。それも“当たり前”のことであるからでしょう。このこと自体を「当たり前と思うこともどうなのか」というご指摘をいただきそうですが、それもその通りです。とはいえ、この事実をきちんと認識していなければ、世界で戦っていけないことも然りであるように思えてなりません。

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キヨカワ

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