自分の人生を考える上で外せないこと

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ここ数日、学生さんたちの前でお話しする機会がたくさんありました。写真は昨日高校生80名程度の前でキャリア教育の一環としてパネラーとして呼ばれて話をしていたものになります。このような機会がある度に、「そんな視点があるとは思ってもいませんでした」という類の感想をいただくのですが、この感想は結構致命的なような気がしてきました。

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職業の選び方は「自分がやりたいかどうか」

このような機会ではもちろん様々な話をするのですが、一貫しているメッセージが一つあります。それは、「長期的にものごとを捉えよう」ということです。今回はキャリアについての話なので、「○○の仕事をやりたいと思います」的な夢を持って(持つように促されて?)このような機会に臨んでいるようなのですが、その“○○”という仕事をやりたい理由は、“自分がやりたいから”以上でも以下でもないことが多いわけです。それは高校生くらいであれば仕方ないかもしれませんが、残念ながら大学生でも同じ傾向があります。

何を申し上げたいかと言うと、その“○○”という職業が10年後、20年後も需要はある職業かどうかという視点も考えた上でその話をしているか、ということです。多くの場合、答えは「NO」です。正にこれが、「そんな視点があるとは思ってもいませんでした」という感想につながるわけです。もっと言えば、この感想をきちんと腹落ちさせ、別の機会でもこの考え方を応用できれば何の問題もないのですが…長期的にものごとを捉えるということを不得意とする方は(社会人含め)非常に多いように思えます。

世の中がこれからどうなるかを考えずに自分の人生を考えられるか

“長期的にものごとを捉える”ということを多くの人が“不得意”とする理由を考えてみたのですが、私の中である一つの結論に至りました。それは、“自分のことにしか興味がない”ということです。先日のキャリア教育最大の問題点という記事でも書きましたが、このようなキャリア教育にしても就職活動にしても、最初にすることは“自己分析”なのです。もちろん、自己分析をすること自体は問題ありません。ただ、その“自己分析”に“長期的視点”を組み込むと、自分はどんな人生を歩みたいか~的な方向に進んでしまいます。←ここに“おかしさ”を感じない方は、思考停止している可能性があります。

自分はどんな人生を歩みたいか、という話は確かに“長期的な話”であることは間違いないのですが、それを考える前に押さえなくてはならないポイントがあります。それは、“将来世の中がどのようになっていくか”というポイントです。ご存知の通り、一昔のように良い大学に入って、良い企業に就職すれば将来が保証されるような世の中ではもうありません。少なからずこれまでとは違ってくるであろう世の中を“どう捉えるか”によって、どう人生を送るかということは確実に変わってくるはずなのです。

勉学によって世の中の現在と過去を学んでいる

つまり、“長期的にものごとを捉える”ためには、世の中の未来を想像することが絶対的に必要になります。もっと言えば、その未来のベースになっている現在、過去も含めて理解する必要があるわけです。その現在、過去こそ、勉学というものを通じて学んでいる“はず”のことであるのですが、そのように勉学を捉えられている学生さんは皆無のようです。それこそ、“需要”と“供給”の話なんていうのは、非常にシンプルな話でありながらビジネスの基本中の基本であるということに気付けていないわけです。当然、彼らは社会人としての経験がないから仕方がないという話もあります。それはその通りでしょう。ところが、それが社会人になっても気付けていない方が多いのも事実だったりするわけです。

冒頭に申し上げた、「そんな視点があるとは思ってもいませんでした」ということが致命的なのではないかという話をしたいのですが、上記のような“基本中の基本”をきちんと“基本”であるということを伝えられていない学校教育そのものにやはり問題を感じざるを得ないということです。

知っていてできないことは誰しもたくさんあると思います。ただ、そもそも“知らなければ”、できるようになりようがないわけです。「そんな視点があるとは思ってもいませんでした」は、“知らない”状態です。それを今の学校教育に求めるのは酷なのか…それほど難しいことではないように思うのですが。

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キヨカワ

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