グローバル人材を目指すなら
日経ビジネスオンラインで「初任給1000万円を蹴って起業するインドの天才たち」というタイトルの記事が上がっている。タイトルそのもののインパクトはそれほどではないものの、記事を読んでいるといかに日本という国を彼らはスルーしているか、ということが痛いほど分かる。翻って今日本で議論されているのは就活の解禁日。このレベルの差をどう捉えたら良いだろうか。
「ふーん」で済ますこともできる。でも、それでいいのか。
インドには“IIT”という大学がある。そこはMIT(マサチューセッツ工科大学)が滑り止めになる、そんなトンデモ大学。そんな大学を出る人材は実際に相当優秀で、その卒業生がこれからのビジネスを支えていくだろう、なんていう声が上がっています。「インド人は優秀」という話は様々なところで聞いているものの、日本に住んでいるとどこか遠い国の出来事のように捉え、「ふーん」で終わっているのではないだろうか。
もちろん、「ふーん」と捉えるのも一つの解釈の仕方ではあると思います。これから特別グローバルの舞台で戦おうと考えていない方にとってはそれで全く問題はないと。ただ、これからグローバルの場で戦おうと考えている方にとって、この記事を読んで感じなくてはならないことがあるのではないだろうか。そう、「悔しさ」ですね。日本人はどこかで、他の国よりも経済的に豊かであるがゆえに、自分たちは世界的にも優秀な人材だと思っていないだろうか。それは大いなる勘違いであるということを痛感させられていると思うのです。
日本人の当たり前をインド人の当たり前、ここに大きな差がある
彼らと一体何が違うのかというところを考えると、もちろん様々なところで異なるのだと思うのですが、最大の相違点は「当たり前の基準が違う」ということなのではないかと思います。先日に“unlearn”の記事を上げましたが、無意識レベルのことを変えないと人は学習できないという話をしました。「1日は8時間労働」というのが労働における当然の基準になっていて、それ以上については残業代が支払われることは当たり前、そして今後はそれが更に厳しくなっていく…もちろん、そういったことを整備していくのは大事なところだとは思いますが、そんな当たり前で本当に世界で戦っていけるのだろうか。
あるIITに入るような方が、「1日12時間“しか”勉強できていなくて…あと2時間は勉強したい」と言っていたそうです。これがIITに入るような方の“当たり前”なわけです。この“当たり前”は恐らくその方だけの基準ではないでしょう。周りの人が“当たり前”にやっていることなんだと思います。そして、生物学的な“人”としての能力の差はそれほどないと私は信じています。であれば尚更、無意識レベルの差であるとしか言えないと思うのです。こういった方々と肩を並べて戦えるかと言えば、戦える人は残念ながら今の日本には少ない、と言わざるを得ないでしょう。
もちろん、このような生き方が全てではないですし、そうすることが幸せだとも言うことはできません。少なからず、こういった事実を受け止め、行動を変えていく必要がある方は多くいらっしゃるのではないか、そう思ってやみません。
p.s.
インドの凄さはレベルの高い人材を量産できるところですね。世界的に影響を及ぼしている人種で有名なのはユダヤ人ですが、彼ら以上に世界に影響を及ぼしている人種がいるようです。それは、アルメニア人だそう。日本ではお目にかかれないですね。
スポンサーリンク