相手に興味を持つことの重要性
カンボジアから無事日本に帰国いたしました。深夜便で疲れて帰ってきたものの、家の鍵がなく、家族が出掛けていたので、事実上の締め出しを食らってしまっております…(苦笑)。さて、本研修がらみで最後のテーマになります。最後のテーマは、“相手の立場に立つ”ということです。
相手の立場に立つ≠もし自分が相手の立場だったら
このブログの中でも度々登場する“相手の立場に立つ”という言葉ですが、改めてその言葉について話をしていきたいと思います。まず、この“相手の立場に立つ”という言葉において、多くの人が勘違いしていることがあるように思えます。それは、相手の立場に立つということを、“自分が相手の立場に立った時にどう思うかを考え、それを踏まえて行動すること”というように捉えているような気がするのです。…左記の何が悪いのか分からない方がもしかすると該当者なのかもしれません。
何が悪いかというと、自分が相手の立場に立った時にどう思うかということを“自分の頭”でどれだけ考えたところで、その考えは相手ではなく、どこまでいっても自分であるということに気付いていない可能性があるということです。乱暴な言い方をすれば、相手の価値観等は無視して、その時の相手の状況に自分自身を当てはめたときに自分がどう思うかということを自分の価値観で判断して、それを基に行動するということですね。
相手への興味こそ相手の立場に立つ第一歩
もちろん、上記で言及したことでさえしない人もいるので、それはそれでとても大事なことであることには間違いありません。ただ、私の言う“相手の立場に立つ”ということは違います。それは、相手の持っている価値観を、その相手がそれまでにどのような人生を送ってきているかを聞きながら仮説を立て、質問をしていくことによって、本当に相手がどのように考え、行動するかを推測できる状態にするというところまでを実践することを“相手の立場に立つ”と定義しています。
つまり、“相手の立場に立つ”ということの第一歩は、“相手に興味を持つ”ということから始まるはずなのです。相手への興味なしに相手への質問が出てくるはずがありません。もっと言えば、相手の持っている価値観に気付くはずもないし、相手の立場に立てるはずもないということです。この“相手への興味”こそ、“相手の立場に立つ”上で、絶対に外せない最大のポイントであると言っても過言ではありません。
海外がきっかけとなりやすい“相手への興味”
そしてこの“相手への興味”というものこそ、今回のような国際交流を通じて気付いて欲しいことでもあります。海外に出ることで、明らかに自分とは違う存在に対して興味を持ち、なぜ自分たちとは違った考え方をするのかという背景に想いを馳せ、相手を本当の意味で理解していく。実はこの作業は、同じ日本人間においても全く同じことが言えます。一人ひとり違う人生を送ってきているのだから、一人ひとり違う価値観を持っていて当たり前なのです。それを無視して“相手の立場に立つ”ことなどできるはずがありません。
日本人が海外に行くべき大きな理由の一つが正に“相手への興味”を持ってもらうこと。これだけでも伝われば、海外に研修に連れて行く意味はあると個人的には思っています。
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