引くに引けない状態・現象=思考停止
「ここまでやっているのだから引くに引けない」。こんなような感覚に陥った経験がある方も多いのではないでしょうか。それまで努力してきたこと、時間をかけてきたこと、はたまたギャンブルのようなことまで、それまでに“費やしてきたコスト”が大きければ大きいほど、その先にある何らかの“成果”を求めてしまいがちです。
引くに引けない状態に陥りやすい日本人
第二次世界大戦最後に日本が採った“特攻”という作戦。この作戦に対して、「なぜ勝ち目がないにもかかわらずそんな作戦を採ったのか」という疑問を持たれる方も多いのではないかと思います。その本当の理由については専門家に任せるとして、この背景の一つとしてあると思うのが、先にお話した“引くに引けない状態”というものだったのではないかと思っています。要するに、それまで日本軍が費やしてきた時間、お金、そして人を考えれば、その時点で“引く”という選択肢はなかったのではないかと推察できます。
この話は過去の話と簡単に片付けることはできない気がしています。特に日本人は長い間農耕民族で生活を営んできていることもあり、リスクを取ることはそもそも苦手ですし、リスクを取った際、リスクがそれ以上広がらないよう“損切りする”という行為がとても不得手な方が多いのだと思います(だから株式の投資などが日本人の肌に合わないのだと感じます)。苦手、不得手であるということを直すことができれば良いですが、直す前にまず、苦手、不得手であるということを認識することから始める必要があります。
引くに引けない状態=思考停止状態
ここに“埋没費用(サンク・コスト)”という概念があります。埋没費用をwikiで調べるとこのような定義になります。
埋没費用(まいぼつひよう)とは、事業や行為に投下した資金・労力のうち、事業や行為の撤退・縮小・中止によっても戻って来ない投下資金または投下した労力をいう。サンク・コスト (sunk cost) ともいう。
要するに、先ほどから申し上げている“引くに引けない状態”というものを説明するに当たって、この“埋没費用(サンク・コスト)という概念が欠落している状態を、“引くに引けない状態”と定義することができると思います。それまでどれだけコストを掛けていたとしても、絶対に引くことのできない状況というのは存在しないはずです。それにもかかわらず、「引けない」と感じている時点で、事態がなんとか好転することを願っているだけで思考停止し、客観的かつ冷静に事態を見られていない状況になっているわけです。この状態で下す判断がまともなものであるかといえば、残念ながらまともである可能性は非常に低いと言わざるを得ないでしょう。
継続できなくなる可能性のあるリスクは絶対に回避する
私も起業をしてから先輩の起業家の皆さんから口を酸っぱくして言われることがあります。「自分の致命傷にならないリスクだけを取っていけ」と。つまり、失敗することは当たり前だけれども、それが致命傷になってしまえば次のチャレンジができない。だからこそ、致命傷にならない範囲で何度も挑戦することが大事であると。
もちろん、“引くに引けない状態になるくらい何かに注力する”ということも時と場合によっては必要なのかもしれません。ただ、その“引くに引けない状態”になり、取り返しがつかないような状況になることだけは避けなくてはなりません。昨日の箱根駅伝の記事同様、“継続する”ことが何より大事なはずですから。
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