日本の労働環境の今後
欧米では一般化している同一労働・同一賃金という考え方。特に経済が成熟化している欧州では常に仕事<労働力なので、この考え方が強いです。誰もができる作業であれば、給与さげてワークシェアリングするということ。
今後日本もより成熟化していくなかで、間違いなくこの考え方になります。そもそも就職氷河期に卒業したら一生非正規社員で、正社員と同じ仕事なのに賃金が大きく差がつくのは、運不運だけで片付けられる問題だとは思えません。そもそもの仕組み(システム)に問題があります。給与は市場価格(職種の需給バランス)と連動させないと、高コスト体質の是正(その職種であれば外部のほうが圧倒的に安い場合は外部に合わせる)がなされず、結果企業競争力で負けてしまいます。(みんなが不幸)
常々僕がみんなに業務を作業と仕事に切り分けて作業はどんどんDA(アルバイト)さんにまかせて行こうと言っているのも来るべきワークシェアリングに備えてです。望んで作業したい主婦(責任をともなわない仕事がむしろ希望)と今後は望まないけど能力が追いつかないので作業しかできないという人が同じ職場で働く時代がもうすでに来てます。工場のラインがまさにそう。今まで聖域だったホワイトカラーの職場もまさしくそうなります。(グローバリゼイション・経済の停滞・ブルーカラーの職場の減少)
厳しいけどこの現実を早くにとらえて、準備することが大事です。今やってる仕事は今後作業化するのか、仕事化するのか。誤解して欲しくないのは、作業をしている人がいないとうちの会社も社会も廻りません。不幸なのは本人が高年収を夢見ていて将来作業化する仕事をし、そこに気づかず何の能力向上もせず気づいたら収入が下がり続けていて、年齢的にも手遅れになるということです。
かなり過激な文章かも知れないけど、リーダーの大事な役目に世の中の流れをよんでみんなをそちらの方向(世の中の需要があるところ)へ導くという大事な使命があるので、僕の考えを書いておきます。
上記は私がサラリーマン時代の代表がブログで書いていたものになります。代表が言っていることは、恐らく現実のものとなると思います。付加価値の高い“仕事”をする人と、誰でも出来る“作業”をする人。そこには給与はもとより、ありとあらゆる待遇が180°変わってくるでしょう。“格差社会”なんていう言葉は、未だ一部の方にしか実感がないところだと思いますが、多くの人がそう感じる時代がすぐそこまで来ている、そんな気がしてなりません。
精一杯頑張って、そこそこの生活ができる
そんな時代の中で、「そこそこやって、そこそこの生活が出来れば良いんじゃない?」という考えは、恐らく通用しなくなると思います。そこそこしかやらなければ、間違いなく生活レベルは落ちるでしょう。そこに対してどれだけの人がどれだけの危機感を抱けているのでしょうか?また、そこに「危機感を抱く必要があるの?」と真顔で聞いてくる人もいます。真顔で、「今の年収以下になっても構わないよ!」と言っているのとイコールです。(それならそれで構わないですが・・・。)
多分、今の日本では、「精一杯頑張って、そこそこの生活が出来る」これが少子高齢化を迎え成熟化した日本の現実だと思います。精神的に幸福なら良い、もしかすると、そんな人なら良いかもしれない。でも、日本人はそう言えない位、贅沢をしていると思う。それを放棄して戻れるか、いや、戻れないでしょう。と思う今日この頃です。
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