未経験のことにどう向き合うか

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「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といったのはビスマルクの言葉ですが、歴史(=他者の経験や失敗)から学ぶのは、非常に難しく、「私たちは、歴史を参考にしながら、結局は経験からしか学べない」というのがより適切な言い方のような気がします。

出典:勝間和代オフィシャルメールマガジン1月28日発行号

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当事者にならなければ(経験しなければ)分からないという事実

ステマではありませんが(笑)、過去の勝間さんのメルマガでヒットしたものがあったので、今回はそれを紹介します。これ、本当にそうだな、と思います。自分自身が一番それを感じるのは、親としての自分を考えたときです。親の心子知らずとはよく言ったもので、当事者にならない限り、本当の意味で親の気持ちが分かることはない、ということだと思います。ましてや、小さい頃の子供に抱く感情と、大きくなってのそれとはまた違うと思うので、親と言っても完全に分かるわけでは全くありませんが・・・。

ともあれ、今日一番の強調したい部分としては、“当事者にならなければ絶対に分からない”というところ。親になったことがない人が親の気持ちが分からないように、その当事者にならずしてその人の気持ちが完全に分かることはないでしょう。まず、この“事実”を押さえておかなくてはならないと思う。

事実を認識した上で、どうすべきかを考える

ただ、だからといってその人の気持ちになることを諦めるかというと、それも違う。その気持ちを分かろうと色々と試行錯誤していくプロセスが大事なんじゃないかと。そのプロセスを踏まずして、分かったような気になっていたり、逆に分かるのを諦めるというのも違う話です。しっかりと事実は事実として捉え、その上でどう行動すべきか、ということを考えなければならないのでは、と思います。

よく考えてみると、今回のこのような話って、色んな所にあると思っています。例えば、人間はポジティブであるべき、というような話とか。もし、常にポジティブな人がいたとしたら、それは一つの才能だと思うけれども、多くの人はそうでないと思う。自分自身にネガティブな側面があるという“事実”をしっかり認識しながら、そのネガティブな側面がいかに“出ないような状態”を作るにはどうしたらいいか。そういったことを考えていく必要があるのではないかなと思います。ま、とはいえ言うは易し。実践は難しいことには変わりないですけどね。

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キヨカワ

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