論理的思考(ロジカルシンキング)が必要とか言う前に

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「あいつはロジカルじゃないよね」「論理的にそれ間違ってない?」などなど、ビジネスの場で“ロジカル(シンキング)”や“論理的(思考)”といった言葉はよく出てきます。私も使っていると思うのですが、よくよく考えてみると、これらの言葉の使い方そのものが“ロジカル”ではない気がしてきます。

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“ロジカル”や“論理的”、本当に分かって使っていますか

「あいつはロジカルじゃないよね」という言葉、どんな時に聞くでしょう。考えられるケースとしてはまず、“感情的なタイプである”ことでしょうか。ロジカル=論理的と捉え、論理的の対義語として感情的という意味合いで使っているケースです。次に考えられるのは、単純に“バカにしている”ケースです。発言の論理に穴があり、それに気付かない発言をしている人に対して投げかけられる言葉というのがもう一つのケースでしょうか。

それ以外のもあるかもしれませんが、上記2つを少し検証してみましょう。まず、“感情的なタイプ”のケースについてですが、そもそもロジカル=論理的と訳すことに違和感は残りますし、仮に論理性としてその対義語として感情的と持ってくることはやはり違います(論理の対義語は非論理であり、感情的の対義語は理性的で、論理的と一部被るものの完全に合致はしません。つまり、この“感情的なタイプ”という意味合いで使うことはロジカル(論理的)ではない可能性があります。

さて、次のケースです。“バカにしている”というものですね。発言の論理に穴があるという話ではあるのですが、要は多角的に物事が見れていないということとほぼほぼイコールなのではないかと思います。その多角的に物事を見るということが、きちんと構造的に見える化する力がある方が仰るのであれば良いのですが、恐らくそうではなく、そのような力を持たずして、単に自分が経験上気付いただけで「論理的でない」と言っているケースは、これこそ論理的ではない状態ではないでしょうか。

自分の中で作り上げた“論理のようなもの”と照らし合わせているだけでは?

改めて、論理とは何かを辞書で調べてみました。

論理とは、考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。

出典:goo辞書

論理とは、道筋であり組み立てであり、法則や形式なんですね。それはある種、三段論法やMECEなどの法則そのものを指しているわけで、そういったもの(論理)を熟知せずして本来は使えるはずもない言葉なのではないかということに気付きます。論理やロジカルという言葉を使うビジネスマンは、本当にこの論理やロジカルを熟知した上で使えているのでしょうか。残念ながら答えは「否」です。

そんなバックグラウンドがない中でどのように「論理的か否か」を発言しているのでしょうか。それは、各自が勝手に自分の中に作り上げた“論理のようなもの”と照らし合わせて、それに合致するか否かだけなのではないでしょうか。それは本当の意味で“論理”と呼んで良いものなのかと考えると、そこに疑問を持たざるにはいられません。

大切なものであればきちんと定義をしましょう

さて、そもそも論に戻りましょう。なぜビジネスにおいては“ロジカル”だったり“論理性”を求められるのでしょうか?それは、(色々な言い方があるとは思いますが)相手に自分の話を納得してもらうためではないでしょうか。そう考えると、“ロジカル”だったり“論理性”というものが指しているのは、説得しようとしている相手の“論理のようなもの”を踏まえた上での話がきちんとできるか否かが求められているということと捉えることができます。よく聞く言葉で言えば、“相手の立場に立つ力”と言い換えることもできるかもしれません。

別に今回の話が正しいわけではありませんが、言葉というものを軽く見ない方が良いことは言えるのではないかと思います。分かっているようで分かって使っていない言葉はたくさんありますし、その意味はその言葉を使う人によって異なる可能性だってあります。今回のような“ロジカル”や“論理性”はビジネスの世界でよく使われ、大切なものと考えられています。本当に大切なものと位置づけるのであれば、少なくともその定義や使い方を明確にしておく必要はあるのではないかと思います。

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キヨカワ

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