働かなくてはならない理由
「迷惑をかけない」なんて綺麗事でしかない。じゃあ、自分が助けられている以上、自分は別の局面で他者を助けられないかと考えるようになるんですね。それが私の多様性の根源的な部分、ベースなんです。 私と比べると、ほかの人の「苦手」って私よりも見えにくいものだから、なんとかごまかせてしまう。だから、みんな隠したり必死に埋めようと労力を費やすんですよね。
出典:「人に迷惑をかけない」なんて綺麗事でしかない──乙武さんと多様性を掘り下げる
働かなくてはならない理由はここにある
乙武さんとサイボウズ青野さんの多様性に関する対談の記事が非常に共感値が高いのでシェアしたいと思います。これは本来社会というものが存在する意味とイコールなのではないかと思うわけです。私たちが様々な便益を受けられているのは、自分で全てを行うことができないということが前提にあり、だからこそ助けてもらえるシステム=社会になっているのだと思います。
「なぜ働かなければならないのか?」という問いを学生から受けることがあるけれども、働かなくてはならない最大の理由はここにあり、働かないことは今受けている便益を受けるシステム=社会から離れることと同義なはずです(なので、社会から離れられる人はいわゆる社会で働く必要はないかもしれません。その代わりに違った形の労働をすることにはなると思いますが)。
できないことを表明することで助けてくれる人が現れる
記事のように、苦手なことやできないことを表明することを日本人は嫌がる傾向はありますよね。もちろん、初めから「何もできません!」というようなスタンスでいるのはどうかとは思いますが、できないことを表明すると、それを助けてくれる人が意外と現れるものです。
人間というのは、元来誰かを助けたいと思っている生き物だと思います。自分が誰かの役に立った、ということを感じられると、それ自体が自分の存在意義を認めてもらえているように感じられる経験は誰しもあるのではないでしょうか。そういったマインドがあるわけですから、誰かが自分のできることで「助けて欲しい」と言ってきたとしたら、「自分ができることなら」と進んで助けようとすると思いませんか。
何でも一人でできるようになる=自立ではない
今の社会は、何でも一人でできると勘違いし易いですし、それが自立だと思っている方も多いのではないかと思います。このような社会の仕組みがあってはじめて今の生活が成り立っていることを改めて認識する必要があると感じます。
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