本を読まない人はバカなのか
「最近、どんな本を読みましたか?」なんでも、この質問が仕事ができる人かどうかを判断する一つの方法らしい。そして、言われた本を目の前で購入して、逆に自分の好きな本を言って、その本をその人も目の前で購入するかどうかというところで“知的好奇心”と“行動力”を測るそう。なるほど。この質問をされたら“仕事ができない人”のレッテルを貼られそうだ(苦笑)
本は、体系化(整理)された少し古いもの
最近、本というものを読めていない。どうしても自分の中で優先順位が低いものになってしまっている。別に本を読むことが嫌いなわけではない。それこそ昔は薦められていた本は目の前ですべて買っていたし、そのほとんどはちゃんと読んだ(笑)家は本で溢れ、半年に一度はブックオフに来てもらって数百冊単位で買い取ってもらっていた(二束三文だけれども)。そんな状況からすっかり本を読まない状態になってしまった。それはもちろん、読まなくなる癖が付いてしまったこともあろうかと思うのだが、それ以上に“本を読む”ということの意味合いがよく分からなくなったように思う。
私が昔、“本を読む”ということに対して持っていた意味合いは、“知識を得る”ためだったように思います。読んでいた本は基本的に“ビジネス書”であり、小説などをはじめとした、読むということそのものを楽しむための読書はほとんどしてきませんでした。そして、その“ビジネス書”を年間数百冊読んでいると、あることに気付くのです。それは、“ビジネス書”というものは、“体系化(整理)されたもの”であるということと、“少し古いもの”であるということです。
“古典”と呼ばれる名著を改めて読みたい
“体系化された少し古いもの”ということは、ある意味、“それまでに出てきている情報の確認作業”に近いものがあります。もちろん、中には初めて知るような情報もあることもありますが、それは自分が新しい情報をキャッチアップできていない証拠に他なりません。そして、昨今では特に感じるのが、“少し古い情報”というものが、“結構古い情報”になりつつあるという点です。インターネットが出現し、多くの情報がリアルタイムで確認できるようになりました。本というものがある程度のロイヤリティがあるとは思いますが、インターネット上の情報も取捨選択できれば、確かな情報源になることは間違いないわけです。
ただ、本というものが完全に御役御免になっているというわけではまったくありません。むしろ、“古典”と呼ばれるような昔の名著を改めて読むべきだと感じることがたくさんあります。特に“歴史”関連の書籍はきちんと読むべきと感じます。私が好きな本の一つに、“上杉鷹山”がありますが、この本は私の専門である人事コンサルをする上でのベースの考え方になっていることは間違いありません。“賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ”という言葉があり、人間はどうしても愚者になりがちですが、賢者になるための努力はする必要はあろうかと思います。なんて言いながら私も中々読めてないんですけどね…ガンバリマス。
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