感情が顔に出る損
昨日の点滴から体調は少なくとも回復傾向にあるものの、薬のせい(?)で大分ぼーっとしているような感じがしている火曜日の朝です。薬というのは…効いてくれるんですけれども、この無気力状態にさせるような副作用がどうにも、ですね。このような状態では良い仕事ができるはずもありません!と、今日もまた一つ健康である、というよりも“平常であることを保つこと”がこと日本でビジネスをすることにおいてはいかに大事かという話を書いていこうと思います。
いかに本当の感情を悟られずにコミュニケーションを取るか
「お前は思ったことがすぐ顔に出るな。」この指摘は私が社会人になってはじめての上司によく指摘されたことです。今でも直っているかといえば自信が結構ないのですが、自分自身が平常である時には間違いなく隠せている自信があります。そう、平常である限りは、です。しかし、この平常というものは簡単に壊れるもので、今のように体調がすぐれなかったり、何かストレスがかかっていたりすると簡単に壊れ、平常ではいられない状態となり、そのような癖が出る可能性が格段に上がります。つまるところ、平常はすぐ壊れるので全然直っていない可能性があるということです(苦笑)。
私のことはさておき、こと日本でビジネスをする上ではこの“平常な状態”でのコミュニケーションが求められるということが暗黙知にあるような気がしています。言い換えると、自分自身の“本当の感情”を相手に悟られずにコミュニケーションを取れる力というものが必要とされるということです。これがよく言う“本音と建前”というものを使い分けるというような話に繋がってくるというわけです。
ルールを理解し、遵守し、むしろ活用する
“本音と建前”という気持ち悪い話ではありますが、それがある種ルール(暗黙知)になっているのだからそれはそれに従っていく必要があります(日本でうまくやりたいなら、です)。むしろ、ルールというものをいかに理解し、自分自身が遵守するだけでなく、ルールそのものを上手く利用するということまで考えられれば、気持ち悪いルールも有用なツールにもなったりもします。
分かりやすい例を挙げると、“怒り”という感情をコントロールすることなくビジネスの場に持ち込むことは、百害あって一利なしです。“怒り”を表してしまうことによる害は、“怖い人だと思われる”というような単純な話だけではもちろんなく、“平常をコントロールできない人”という烙印はもちろん押され、さらに“その人の素で考えていることが露呈”されます。そう、最後の部分が実は最も危ない部分で、その人そのものの器の大きさがここで露呈されかねない状況を自ら作っているということに近しいのです。
怒っている人の発言を冷静に聞いてみると分かる素
このように“怒り”というものをコントロールせずに素で出してしまうことの危険性を書いてきたわけですが、裏を返せば、自分ではなく相手が“感情的に怒っている”という状況をよく観察するということが非常に重要であるということも併せて気付けるのではないかと思います。そう、感情的に怒られた時、その怒っている人の話を冷静に聞いてみると良いのです。その人が本当にこちらのことを考えて怒ってくれているのか、それとも自分のストレスのはけ口のように怒っているのか、非常に明快に分かるし、後者であればその人の言うことを今後聞く必要がないということも分かるでしょう。
どれもこれも、日本という社会で“平常”のコミュニケーションが強く求められるからに他なりません。何度も言いますが、非常に気持ち悪い話でもあったりします。ただ、それが暗黙知であるということも否定はできません。だからこそ、その暗黙知を有用なツールにするというところまでを考える。そういう力を強かさ(したたかさ)と言うのではないかと思います。
p.s.
言うまでもないと思いますが、コントロール下に置きながら特定の感情を敢えて出すということは正に有効活用の一つの方法です。
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