厳しい指導と優しい指導

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研修や面接等、どんな場面においても「厳しい」と言われがちな私です(苦笑)。もちろん、その自覚症状はあるのですが、意味なく厳しくしているつもりもありませんし、そのデメリットをカバーできるような配慮をたくさんしています。例えば、普段の指導方法が厳しい分、目標設定を甘くして、やるべきことをやればほぼ目標をクリアできるようにするといった配慮をしていたりするのですが、これには賛否両論あるようです。

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はじめから方程式を解かせるか、四則演算から始めるか

私が指導方法を厳しくして目標設定を甘くする最大の理由は、特定の物事をできるようにするために一つずつきちんとステップを踏んで、それぞれのステップを習得していって欲しいという想いがあるためです。例えば、算数などに置き換えると、四則演算(+-×÷)をまずは徹底して覚えさせてから、その次に進んでいくというスタイルですね。この例えにするとこれが普通のように思えますが、世の中にはこういうケースも存在します。はじめに方程式の問題を提示して、その問題をとりあえず各自に解かせてみて、ひっかかるところを解説していくというやり方です。

もしかすると、後者のやり方の方が“方程式を解く”という意味では早いかもしれません。もっと言えば、既に能力のある人にとっては、後者のやり方の方がより早く次のステップに進むことができますし、前者をわざわざやることが逆効果になる可能性も当然あります。ところが、そのような既に能力のある人は、そのような研修において少数派であり、その少数の能力のあるメンバーに対してのみ研修を行うわけではないため、後者を取らざるを得ないというのが実情なわけです。

できない人というレッテルを貼ることの方が“厳しい”のでは

ところが、世の中では上記のような事象が起こっていることをあまり理解されずに、後者のやり方をしながら、脱落者を出すなとオーダーしてくる人が多くいるように思えます。そして、目標が高いので“優しく”指導し、彼らのモチベーションを“優しさ”で保って欲しいと言われるわけです。

何度も申し上げます通り、上記は既に能力のある人にとっては良い方法です。ところが、そうではない人にとっては、(目標が高いので)モチベーションをそもそも保つことが大変です。しかも、どこでつまづいているのかということが正確に把握できないし、できていないこともできているかのように振舞う人が出てくるので、何か問題があっても何が問題なのかということを一人ひとり発見するには時間がかかりすぎます。そして最終的には、できない人に“できない人”というレッテルを貼るわけです(そのようにしてしまうことの方がよほど“厳しい”と思うのは私だけでしょうか)。

大事にしたいのは“基礎づくり”

一方で、前者のやり方はその最終的な目標に必要なものを全てステップに細分化し、一つ一つを確実にクリアしていくことで最終的な目標 に到達するような設計をします。それは一見遠回りのようにも思えますが、そのような“基礎”をしっかり作っていくことが、誰一人脱落者を出すことなく最終 的な目標に到達する方法になっていくのではないかと信じています。また、それだけでなく、細分化されたステップこそいわゆる“基礎”と呼ばれるものであ り、その“基礎”をしっかりと確立していくことが、他への応用にも繋がるのではないかと思うのです。

社会に出ると、意外とこの“基礎”をすっとばす傾向が強いように思えます。それは早く“即戦力になって欲しい”というような焦りにも近いものがあるからかもしれません。その気持ちは分かるものの、その“基礎”がしっかりしていないが故に起こっている弊害というものが多分にあるように思えてならない部分もあります。これはトレードオフなのかもしれませんが、少なくとも私が関わる研修については、やはり“前者”であり“基礎”を大事にする研修が大事にしていきたいと思っています。

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キヨカワ

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