プレイングマネージャーってどうなの?

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マネジメントをしながらも、一プレイヤーとしても活躍を求められる。いわゆるプレイングマネージャーという役割になりますが、この役割を担える人の求人数が増えているようです。企業側としてはもちろん、部下のマネジメントを求められるだけでなくプレイヤーとしても活躍してもらえれば直接的な利益に貢献することも多いでしょう。ただし…

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プレイングマネージャーという言葉を気軽に使う企業は要注意

プレイングマネージャーという役割は、一時的な役割に留めるべきと私は強く主張したいと思います。それは、プレイングマネージャー本人にとってだけでなく企業にとっても、です。そもそもなぜ、プレイングマネージャーという役割が求められているかと言えば、「人がいない」ということによるものです。

その「人がいない」理由というのは企業ごとによって異なります。例えば、急成長しているベンチャーなどは、事業の拡大と人の採用のスピードが合わず、人が足りなくなることはよくあることです。そういった際にプレイングマネージャーをしてもらうことは一時的な役割としては必要でしょう。また、急成長とは逆に、売上が上がらず人を減らさざるを得ないという企業もプレイングマネージャーを求めます。なぜなら、1人に2人分以上の仕事を1人分の給与でなんとか補おうとするためです。双方とも、その役割を“一時的”と捉えているのであれば問題はありませんが、「それが当たり前」ともし捉えられていたら、長期的には問題が発生してくることが容易に予見できます。

プレイングマネージャーは、当然ですが業務量が確実に増えます。もちろん、そういった環境で働きたいという意思や、それによってもたらされる自身の成長のためと捉えられるのであれば良い機会かとは思いますが、長期的にその環境で働くということは多くの人はできません。特に女性がそのような環境に置かれれば、出産等のイベントを迎えた後の自分のキャリアが描けないのは至極当然でしょう。会社として、「プレイングマネージャーという役割が異常である」ということについて認識がなければ、残念ながらその会社が大きく発展していくことはないと言っても過言ではないと思っています。

責任は明確になるが、業務を明確に分ける方向へシフトすべき

日本でダイバーシティが進んでいかない理由は正にこの部分にあります。プレイヤーならプレイヤー、マネージャーならマネージャーの業務を明確化するということができない、という点に。曖昧にしておくことで、お互いにお互いの業務をカバーできる、と言えば聞こえは良いですが、責任を取る人間が不明確になります。そう、役割を明確にすれば、責任というものが明確にはなっていまいます。「責任を取る」というと非常に重く感じるものですが、それを重く感じるだろうと企業側が従業員に甘えている部分には間違いなくなっているのです。

「多様な働き方はしたいけれども責任は取りたくない」というのが理想かもしれませんが、それは残念ながら企業側としてもNGでしょう。そういった意味では多様な働き方を許容させるような動きをしていく必要がこれからはあるのではないでしょうか。責任、と言っても最悪クビというだけです。そのクビになったとしても生きていけるような力を、これからは付けていかなくてはならないのではないかと思っています。

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キヨカワ

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