社会人は学生よりも責任が重い??

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「社会人と学生の違いは“責任”の大きさだと思います。」こんな話を学生さんからよく聞きます。一見当たり前のように見える内容かもしれませんが、学生という言葉と社会人という言葉をどのように定義するかによって答えは変わってきますし、責任が“大きい”とか“小さい”とか、責任という定性的な話を大小で表現すること自体おかしいので、色々と突っ込みどころ満載だったりします。この内容の正誤、という話は一旦置いておいて、そもそも“責任を取る”ということの意味合いとは何なのかを今日は改めて考えたいと思います。

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そもそも“責任を取る”とは何か?

「社会人になったら責任を取らなければならない!」学生さんはどうやらそのように思い込んでいる節があるようです。「じゃあ、具体的に責任を取るって何をすることなの?」と質問すると、実はそこまで考えていないケースがほとんど。さて、実際に社会人の皆さま、“責任を取る”ということを改めて説明していただけますでしょうか。

…これ、改めて聞かれると即答するのに窮する質問ではなかったでしょうか。そもそも、どんなシーンで“責任を取る”という話になるのでしょう?お客様からのクレーム?それとも何かをして失敗した時に言う言葉?前者であれば、謝ったり、上司を連れて行くことだったり、場合によっては何らかの補償をしますね。後者は減給とか降格とか、最悪クビというようなことでしょうか。改めて聞きますが、これらが社会人の“責任を取る”ということでしょうか。

一個人としての責任はほとんどないし、重要でもない

改めて“責任を取る”ということを考えてみて、皆さんはどのように感じられましたか。勘の良い方であればお気付きになると思うのですが、たとえ社会人であったとしても、一個人としての責任というものはほとんどないし、重要でもないのです。それぞれ具体的に話をしていきましょう。

まず、お客様のクレームについてです。あなたが何か直接的にお客様に失敗をしてしまい、クレームを受けたとします。それは確かに他でもない“あなた”の責任ではあると思いますが、それによって“あなた”がすべきことは謝罪であったり、上司を連れて行くことです。場合によっては“補償”というような話があるかもしれませんが、“あなた”自身が具体的に何か補償しなくてはならないかと言えば、そうではないでしょう。なので、社会人であろうとなかろうと、やるべきことは謝罪と上司を連れてくることくらいです。これが“責任を取る”こととするならば、一個人の責任というのは極めて限定的です。

次に、何かをして失敗した時に「責任を取ります」という話は、最悪“クビ”という話でしょうか。もちろん、失敗して企業に対してどのような悪影響を与えたかにもよると思いますが、企業の中の一社員の“クビ”というものが企業全体から考えたときに言うほど大きい話なのでしょうか。恐らく、よほど悪意を持って企業に悪影響を与えない限りは、損害賠償請求などされないと思いますし、クビというところまでいくこともほとんどないだろうなと思います。

改めて申し上げますが、たとえ社会人であったとしても、一個人としての責任というものはほとんどないし、重要でもないのです。

責任を取ることの目的は、信頼を取り戻すこと

では、結局“責任を取る”というのはいったい何なのか?という話になります。それを考えるには、“責任を取る”という行為は、何のためにする行為なのかということに立ち返る必要があります。

何のために“責任を取る”のかと言うと、“企業としての信頼を取り戻すためにすること”なのではないかと思います。謝罪するのも、上司を連れてくるのも、補償するのもそのためです。そして、一社員のクビというものが対してインパクトがないのは、クビにすることで企業の信頼を取り戻すことができるならば、そのような方法でも良いかもしれませんが、そんなインパクトのあるクビは国民から選ばれた政治家でもない限り、ほとんど影響がない話になるでしょう。

このように考えると、責任というものは商品・サービスを提供する“企業”にすべてのしかかってくるものであり、それを構成する一社員にのしかかってくるものではないということが分かるのではないでしょうか。

信頼を取り戻すことにコミットできない上司はいらない

話は少し変わりますが、人事コンサルタントとしてよく話をすることとして「問題のある部下がいる理由を上司自身の問題として捉えているか」というものがあります。「そんなの当たり前だろう」と思っていただける方は良いのですが、そうは言っても「部下が悪い」と思っている上司の方がいるのも事実。ただ、ここまでにお話をしてきた“責任を取る”という意味合いに照らし合わせると、部下の問題を上司自身の問題として捉えなくてはならない理由が明確に出てきます。そう、その企業の信頼に関わってくるからです。

よく言う話ではありますが、信頼というものは一朝一夕で作れるものではありません。しかも、崩れるときは一瞬で崩れます。非常にセンシティブな問題ですし、そこに対して最も敏感でなくてはならないのが上司の立場の人間であるはずです。もし、そのようなことができないというのであれば、すぐに上司の立場を放棄すべきでしょう。

“責任を取る”ということは、その企業の“信頼を守る”こと。身近でありながら、意外と見逃しがちな言葉のように思いますので、一つ心の片隅に留めておいていただければと思います。

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キヨカワ

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