コンプライアンスの意味を改めて考える

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企業のコンプライアンスという言葉が叫ばれて久しい。そう、“久しい”話ではありながらも、実はここ10年程度の話であったりします。コンプライアンスは“法令遵守”と訳されることが多く、コンプライアンスがしっかりできている企業というのは、「法令をきちんと遵守していますよ」とよく考えれば当たり前のことを宣言しているような印象を持つ話ではあるのですが、その中身をよく見てみると、単純な話ではないことにも気付くと思います。

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コンプライアンスの表向きの理由は“消費者保護”

コンプライアンスという言葉は“法令遵守”と訳されていることが多いという話はしました。ところが、企業のコンプライアンスという概念を調べていくと「誠実な態度が求められる」というような、法律ではない、いわば“企業倫理(モラル)”のようなことまでも含められた定義になっていることに気付きます。つまり、コンプライアンスは単に「法律を守っていればいいんだろ」というようなものではないということになります。

このようなコンプライアンスというものがここ10年程度で急速に流行り始めた理由はいくつか考えられますが、表向きに大きな理由となっているのが“消費者保護”という観点であると思います。企業が法令を遵守しないことにより消費者に被害が出る…そのようなことが起こらないよう各企業にコンプライアンスを求めていったというのが一般的に言われていることだとは思いますし、そのように言われれば多くの消費者も悪い気はしないはずです。

コンプライアンスを差別化要因にするしかなくなってきている

ところが、視点を変えると少し違ってくることも事実としてあります。“消費者保護”というものがコンプライアンスを求めていった“表向きの理由”とするならば、“裏向きの理由”もあるわけです。その“裏向きの理由”とは、“コンプライアンス”というものをでしか商品・サービスの差別化が図りにくくなってきているということです。ご存知の通り、日本は人口が減少傾向にあり、商品・サービスの需要と供給のバランスを見れば、多くの場合、“供給過多”なのです。そのような“供給過多”の中で自分たちの商品を選んでもらうためには“コンプライアンス”というポイントで差別化を図ろうという思惑が見てとれます。

もしかするとここまでの話では「それでもコンプライアンスをしっかりやれる企業は良いじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ただ、問題になるのはコンプライアンスをしっかりやれる企業というのは、“大企業が主”と言わざるを得ません。コンプライアンスを徹底するにはどうしても“お金”がかかるのです。

コンプライアンスの問題は大企業に有利に働くこと

少々乱暴な言い方をすると、同じコンプライアンスのレベルを求めるならば、そこにかかる費用は大企業であれ中小企業であれさほど変わりません(もちろん、厳密には多少変わりますが、規模に比例はしないのです)。そのような中で同じ競争をすると、どうしても大企業が有利であり、中小企業が不利になります。そして大企業が勝ち組となり、多くの中小企業が潰れていくという流れになっていきます。

一消費者としてはいくつかの中小企業が見えないところで潰れていても大したことのない話のように思われるかもしれません。しかし、中小企業と大企業が常に緊張関係があり、切磋琢磨できる関係があってはじめて大企業もより良い商品・サービスを提供しようとするものです。そこに緊張関係がなければ、商品・サービスレベルは間違いなく落ち、満足度の高い商品やサービスの提供を受けられなくなっていく可能性は拭えません。

日本衰退はコンプライアンスが引き起こしているかもしれない

上記に加え、多くの中小企業がなくなっていくことは、その分の働き口をなくしていくことにも繋がります。日本は99%が中小企業と言われていますから、そこに従事する方々も相当数いらっしゃるわけです。そのような方々の消費活動が鈍化するとしたり、失業者が増えたりすれば…日本経済に多大な悪影響をおよぼす可能性も当然に考えられます。この状態は正に日本という国が“成熟期”から“衰退期”へ突入するサインにさえなりかねないわけです。

コンプライアンスという言葉は、多くの人にとって印象が良く、守って当然のことだと思われがちですが、今回のようにより深く掘っていくことでまた違った側面が見えてきます。本来であれば、そのような“法令(ルール)”がない方が自由に競争することができ、もっともっとより良い商品・サービスが生まれてくるはずなのです。正にそういったことが今の日本に求められているにもかかわらず…時代に逆行している方法であるということをどこかで認識する必要があるとは思うのです。

「ビジネスは何をやってもOK」とまでは言いませんが、何かイノベーションを起こしてきた人間はその感覚に近しい何かを持っているように思えます。そのイノベーションを起こす上での足かせの一つが、コンプライアンスである可能性は否定できないのではないでしょうか。

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キヨカワ

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